あとがき

私は1995年8月31日で満70才を向かえた。振り返れば16才で小樽海員養成所に入り、生家を後にし、風雲急な太平洋に何も知らず出て行った。特に興津丸が太平洋のど真ん中のポナペ沖で、米軍機動部隊の魚雷攻撃で撃沈され、漂流したこと。また、生き延びて今日まで来たことを下手な文章ながら書いて見た。撃沈された時、私はまだ18才5か月であった。死んだと思ったのが運よく今まで生きてこられた。その時、私が板切れにつかまっていた時、『一緒に乗せてくれ。』と言ってきた同僚の一人(名前は忘れたが)を振り払って追い出した。乗せれば自分も命がなくなると感じた私は『駄目、駄目。』と言って乗せなかった。その同僚は素直に救命具を付けたままニッコリと笑って泳いで行った。その笑顔が今でも私の脳裏にはっきりと浮かぶ。その同僚、私より二才下の16才であった。とうとう助かってこなかった。16才でお国のために戦争の犠牲となった。興津丸に乗船していた二千五百余名に冥福を申し上げ、その為、私が長生きできたこと、命ある限り社会に迷惑をかけないことを誓い、あのいまいましい戦争を二度と繰り返さないように、そして悲しい、苦しい思いをされない住み良い日本であるように期待したい。

 戦争の犠牲者に合掌